「上山田温泉物語」 第23回
「千曲川」 津村信夫
その橋は、まこと、ながかりきと、
旅終りては、人にも告げむ、
雨ながら我が見しものは、
戸倉の燈〔ひ〕か、上山田の温泉〔いでゆ〕か、
若き日よ、橋を渡りて、
千曲川、汝〔な〕が水は冷たからむと、
忘れるべきは、すべて忘れはてにき。

志賀直哉が笹屋ホテルに逗留・短編小説『豊年蟲』を執筆。1928(昭和3年)・正木不如丘作詞・中山晋平作曲「千曲小唄」1928(昭和3年)、竹久夢二・千曲小唄挿絵完成1929(昭和4年)晩春、會津八一と「千曲館」扁額1932(昭和7年)堀辰雄、立原道造などと軽井沢から千曲川の流域を愛した津村信夫昭和9年(1934)頃・幸田露伴は戸倉温泉に疎開(太平洋戦争中)など上野から鉄道で直結され、戸倉駅からも近いこの温泉には昭和初期から終戦まで多くの文人墨客が戸倉上山田温泉に来訪した。
大正末期から昭和初期においては大正デモクラシーや大正ロマンの自由な雰囲気が溢れていた。戸倉上山田温泉にはハイカラな施設や設備が多く設置された。
上山田温泉郵便局は2階建ての洋館。清風園別館にビリヤード、卓球台、ピアノが置かれた。上山田ホテルにもテニスコート、ベビーゴルフ、2階建ての洋館があり中にはビリヤード場、ダンスホールがあった。
戦争の足音が聞こえる前はモダンでハイカラな温泉地だった。

A・上山田温泉郵便局
B・ミニゴルフ場(上山田ホテル)
C・ビリヤード場・卓球場
(清風園別館)
D・上山田ホテル洋館
写真下縦・津村信夫文学碑

